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大昭和白老や日本製紙勇払など装置型産業(紙パルプ)への出融資も積極的に行われた。紙パルプ産業の立ち上りに果たした北海道東北開発公庫の役割はかなり大きかったのである。 (2)第2期(1962−1973年度)一拠点開発による地域の工業化と社会生活基盤の整備 この時期は、第1次高度成長期(昭和30年代後半)と第2次高度成長期(昭和40年代前半)に区分される。周知のように、後者の時期は、前者の民間設備投資主導型の高度成長期に対して、輸出主導型の高度成長期といわれている。そして、1968(昭和43)年度には、日本のGNPは世界第2位となり、日本は、世界の経済大国の一員となるに至ったのである。しかし、高度成長のゆがみも拡大した。物価上昇、福祉や社会資本整備の立ちおくれ、深刻な公害問題が生じ、これらを背景にして、昭和40年代には、全国的に革新自治体が増大した。さらに、日産とプリンスの合併、新日鉄の発足など国際競争力の確保を目的とした業界再編成がすすんだ。また、昭和40年代後半には、ニクソンショック(1971年)、通貨の変動相場制への移行(1973年)等、日本経済は世界経済との競争・協調の流れのなかにより一層深くくみこまれていくことになった。 北海道・東北地域では、人口の激しい流出と過疎問題の深刻化が大きな問題となった。また、首都圏や太平洋ベルト地帯との地域格差がますます拡大した。このようななか、国の地域開発政策は、全国総合開発計画(1962年)、新産業都市建設促進法(1962年、北海道・東北地域では、道央、八戸、仙台湾、秋田湾、常磐・郡山、新潟が地区指定をうけた)、「新全国総合開発計画」(1969年)とすすんでいった。そこでは、結局はスローガン的意味しかもたなかったけれども、地域格差の是正がとなえられたりもした。 そこで、この時期の国の北海道・東北地域の開発政策をみてみると、その重点は、深刻化する過密・過疎と地域間格差の同時解消をねらいとした拠点開発による地域の工業化、大規模工業基地の建設、高速交通ネットワークの整備等におかれた。田中角栄氏の『日本列島改造論』が出版されたのもこの時期のおわり頃のことであった。また、主に北海道地域への政策として、エネルギー革命の進行による炭鉱離職者対策も重点的にとりあげられた。この時期には「第2期北海道総合開発計画」(1962年)、「第3期北海道総合開発計画」(1970年)、「東北開発促進計画」(1964年)がつくられた。さらに、1971年には「農村地域工業導入促進法」が制定された。 したがって、北海道東北開発公庫の業務運営の重点もまた、八戸・秋田等の新産業都市
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